2000年11月11日更新

淡々と母の一日石蕗の花

暦の上では冬。今年は夏がだらだらと長引いて、爽やかな日が少なかったように思います。晩秋から初冬にかけて、小春日和が続きます。そろそろ冬仕度をという季節に石蕗の黄色は穏やかな気持ちにさせてくれます。
母の一周忌の法要も済み、しみじみと母を思うこの頃。殊のほか一年が短く感じられました。
北海道有珠山・伊豆三宅島の噴火、鳥取県西部地震、名古屋市街の大洪水など、自然災害が多発しました。地球が危ないと改めて感じさせられました。人間のもたらした環境汚染の問題は21世紀へ大きな課題を残しました。自然の復元は不可能とも言われていますが、これ以上悪化させないために、まず、できることから始めようと思います。
今回は昭和62年の作品をご紹介いたします。


昭和62年は俳句を作り始めて3年目となります。
8月12日に父が永眠しました。享年78歳。心に生じた空白を埋めるのに長い時間を要しました。職人気質で、頑固一徹を絵に描いたような人でした。晩年は好々爺そのもの。ご近所の子供たちの良い遊び相手となっていました。
図書館に日参し、先達の残した句集や評論集を繰り返し読みました。俳句に吸い込まれていくような時期でした。
朝日俳壇の巻頭句は二句。「ポケットのベルが鳴りゐる日焼記者」は、休日もなく取材活動をする友人を、「そつとしてをくもいたはり帰り花」の句は父亡き後の母を詠んだ句です。

第 3 章

花みかん

昭和62年作品


新 年

紅絹で拭く塗椀ひとつ淑気かな 福寿草にほどよき陽射しありにけり
 忘れゐし我と向き合ふ初鏡 初夢のひときはかろき覚めごこち

は る

三寒の四温に山のうすねむり 病む父に戻りしことば梅一輪
寂しさといふ浅春の水たまり 初蝶来臥す父にまづ告げにけり
れんげうの影も黄色と思ふほど 床上げの膳に木の芽和を少し
仏滅の明日は大安鳥帰る 受話器置きてより春愁の始まれり
朧夜や祖父の使ひし煙草盆 目かくしをされて艶めく雛納め
さみしさに慣れ春蘭のうすみどり  

な つ

昼時の茶摘女に茶を入れにけり 花みかん光まみれの少女たち
芍薬や女の意地の美しき 坂道の中ほどにゐて朴散華
風止みてよりひなげしの揺れとなり ビルの窓より早乙女に声かくる
た一つあきらめし夢水中花 家族欄はいつも空白沙羅の花
浅学を見られてしまふ曝書かな 夏負けて母ゆづりなる人嫌ひ
ポケットのベルが鳴りゐる日焼記者 夏帽子父の冠りしままなりし
月見草二階に残す薄明り  

あ き

銀漢の尾にまぎれたる父の星 朝顔のおのれがつるを捕へをり
鳳仙花はじけて旅の始まりぬ 故里を大切に渡る草の絮
絵はがきのみな完璧なる秋の空 秋の野を来し無口とは気づかざり
秋日濃し父の匂ひの衣をたたむ  

ふ ゆ

マフラーをして哀しさを捨てにゆく 真白なマスク一癖隠しけり
気ふさぎの一日真白き毛糸編む 寒紅の思ひがけなき人に逢ふ
霜焼けの手より温もり貰ひけり ブティックの裏に白菜干されをり
そつとしてをくもいたはり帰り花

寒昴小さきことにこだはらず